以前にも紹介したことがあるが
小倉広さんのメールマガジン「人と組織の悩みコラム」ははっとする内容が時々書かれており、いろいろな気づきを与えてくれる。
本日のメルマガは思わず“涙もの”だったので、勝手ながら転載をさせていただきます。
(以下、フェイス総研 小倉広の「人と組織の悩みコラム」より勝手転載)
◆ 母の指先の“あかぎれ” ◆
ミンミンゼミの声が聞こえる季節になると幼少時の夏休みを思い出す。
小学1年生〜4年生。時は昭和40年代後半。映画ALWAYS〜三丁目の夕日〜から
15年ほど経った頃の風景だ。
夏休みと聞くと今でも決まって頭に浮かぶのは、塩素臭い小学校の屋外プール
と、桃太郎という名の30円するピンクのアイスバーと、1個50円のヤマザキ
の大きな甘い砂糖をまぶしたパンだ。1日80円。そのお小遣いで買える最大限
の悦楽を、プール帰りの僕は近所のパン屋さんで買い求め妹と分けていた。
小学校1年生の時に両親が離婚し、生活が一変した。
当時、父親は設計事務所を経営しておりいくつかの業界団体で理事長を務めて
いた。一級建築士の父は、後に皇居で黄綬褒章と紫綬褒章を受勲するほどの街
の名士だった。だから生活は裕福で、家には常に新しい車、新しいカメラ、新
しい電化製品があふれていた。僕はいつもキレイな服を着て気どっていた。
そんな生活が両親の離婚で一変する。
僕は、毎晩しくしくと泣いてばかりいた母を守るために、妹と共に母親と暮ら
すことにした。
母は慣れないパート勤めに出かけるようになった。ホカホカ弁当の製造工場。
そこでご飯をパックに詰める仕事を始めたのだ。それまで社長夫人を気どって
いた母はパートに出るのが恥ずかしいと、また泣いた。
しかし、母の仕事はそれだけではおさまらなかった。時給420円のパート代で
はとうてい生活をまかないきれなかったのだ。母は生活費の足しにと下宿屋を
始めた。
当時、新潟市の中心部にあった僕の自宅の近くにはいくつか大学や短大もあり
下宿屋にぴったりの環境だったのだ。
母の一日は早朝4時から始まる。起きるやいなや家を掃除し、朝食を作り、僕
たちの弁当を作り、洗濯機を回し、洗濯ものをたたんだ。それから僕たちを起
こし、無理やり朝食を食べさせてすぐにバスに乗りパートの工場へ向かった。
夕方帰って来ると、汗を拭く間もなく夕食の支度をし、同時にまたもや洗濯機
を回し洗濯ものを干したたむ。人が良くおせっかい焼きの母は頼まれもしない
のに下宿学生たちの洗濯ものを買って出ていた。だから家は常に洗濯ものであ
ふれていた。
そんな母の指先の何本かは、真夏でもざっくりとひび割れていた。
炊事洗濯、そしてパート勤めの水仕事で、指先の脂っけが無くなり、乾燥して
“あかぎれ”になっていたのだ。深さ5ミリにも達する深いあかぎれ。その深
部は血で赤く染まっていた。
あー、水がしみる…。
そう言いながら母はガマンして水仕事を続けた。それはすべて当時小学校低学
年であった僕と妹との3人での慎ましい生活を支えるためであった。
しかし。
僕は母の言いつけをほとんど聞かなかった。家の家事手伝いを一切せず、母の
小言に「うるせぇ」と返していた。
それがあたりまえだと思っていた。母への感謝の気持ちなど当時は思いもよら
なかったのだ。母が人生のすべてを投げ出して僕と妹を育ててくれたのに、愚
かな僕はそれが当たり前のことだと思っていたのだ。
ここまで思い出した時に僕の頭に疑問符が浮かんだ。
僕の本業であるリーダーシップ開発に関するセオリーと、僕と母との関係性が
整合しないように感じたからだ。
リーダーシップの発揮度合いは上司に対する部下の信頼関係の多寡で決まる。
組織心理学者のEPホランダーが提唱した
信頼蓄積理論 Credit Accumulation Theory はそう教えている。
つまり、上司が部下に信頼されるような行動を積み重ねていれば、部下は上司
のリーダーシップを受け容れ態度や行動を変容させていく。
しかし、その逆に上司が部下から信頼されていないと、たとえどんなに正しく
理にかなった命令を受けたとしてもそれを受け容れず態度や行動を変容させな
い、というものだ。これは僕たちフェイス総研が考えるリーダーシップ開発の
根幹となる考え方だ。
当時、小学生だった僕は、母が発揮する家庭内でのリーダーシップを受け容れ
ていなかった。つまり、僕から見て母は信頼に足る存在ではなかった、という
ことになる。
当時、母は文字通り人生のすべてを投げ打って僕たちを守ってくれていた。し
かし、僕はそんな母を信頼せず母のリーダーシップを受け入れなかった。これ
はなぜなのだろうか?
それは、当時の僕が幼く母の愛の深さに気づくことができなかったからである。
小学生の僕には、母の気持ちがわからなかったのだ。
仕事や家事の大変さ、あかぎれに水がしみる痛み、生活に対する不安、高慢な
プライドをへし折られたことによる羞恥心など。当時まだ子供だった僕には、
母の苦しさ切なさを理解できなかったのだ。
だから、それをありがたい、と思えなかった。そうではなく、母が発する些細
な小言に対してのみ反発の矛先を向け、母を疎ましく思っていたのだ。
もしかしたら、これと同じことが多くの職場でも起きてはいまいか。
リーダーや経営者が発する小言や叱責の言葉尻にばかり部下が反応し、その裏
にある思いや愛情に気づかない。まさに「親の心、子知らず」の状態。
だから、リーダーや経営者が部下から信頼を獲得できない。そんなことも数多
くあるのだろうな。母への回想からそんなことを思った。
部下が上司を信頼するか否かを決めるのは、上司ではなく部下である。部下が
部下自身の価値観でそれを決める。上司から見てその判断が幼かろうが未熟だ
ろうが間違っていようが、上司はそれを変えることはできない。部下は部下の
ものさしでそれを決めるのだ。
しかし、やがてわかる時がくるだろう。口うるさくやかましい上司の小言の裏
に、自分を思う深い愛情があったことにいつか気づくに違いない。
いや、たとえ、その小言の裏に愛情を見つけることができなかったとしても、
それでも小言を言ってくれたことに感謝できるように、いつかきっとなるだろ
う。それが年を重ねる、ということであり、経験を重ねる、ということなのだ。
それまでの間、僕たちリーダー、経営者はじっとガマンして部下に愛情を注ぎ
続けるしかないだろう。部下のために必要であれば、自分が嫌われてでも小言
を言い続けるべきだろう。かつて、僕の母が、僕に対して人生を投げ打って守
ってくれたように。
子が親のありがたみに気づくのは10年、20年先かもしれない。だが、それで
いいのだ。僕たちは部下に感謝してもらうのが目的ではない。部下の人生のビ
ジョンを叶え、そしてチーム全体のビジョンを実現する。それがリーダーにと
っての最優先事項でなくてはならないからだ。
だから、リーダーの行いは自分自身の価値観で選択されなければならない。部
下の反応をきちんと受け止めながらも、最終的には自分が信じる確かな方法で
僕たちはリーダーシップを発揮し続けて行くべきであろう。ミンミンゼミの声
を聞きながら、そんなことを考えた。
もうすぐ母の誕生日だ。リーダーシップに迷った時、母のあかぎれの指を思い
出し自分自身への指針としたい。
株式会社フェイスホールディングス
代表取締役社長 小倉 広
小倉広さんのメールマガジン「人と組織の悩みコラム」ははっとする内容が時々書かれており、いろいろな気づきを与えてくれる。
本日のメルマガは思わず“涙もの”だったので、勝手ながら転載をさせていただきます。
(以下、フェイス総研 小倉広の「人と組織の悩みコラム」より勝手転載)
◆ 母の指先の“あかぎれ” ◆
ミンミンゼミの声が聞こえる季節になると幼少時の夏休みを思い出す。
小学1年生〜4年生。時は昭和40年代後半。映画ALWAYS〜三丁目の夕日〜から
15年ほど経った頃の風景だ。
夏休みと聞くと今でも決まって頭に浮かぶのは、塩素臭い小学校の屋外プール
と、桃太郎という名の30円するピンクのアイスバーと、1個50円のヤマザキ
の大きな甘い砂糖をまぶしたパンだ。1日80円。そのお小遣いで買える最大限
の悦楽を、プール帰りの僕は近所のパン屋さんで買い求め妹と分けていた。
小学校1年生の時に両親が離婚し、生活が一変した。
当時、父親は設計事務所を経営しておりいくつかの業界団体で理事長を務めて
いた。一級建築士の父は、後に皇居で黄綬褒章と紫綬褒章を受勲するほどの街
の名士だった。だから生活は裕福で、家には常に新しい車、新しいカメラ、新
しい電化製品があふれていた。僕はいつもキレイな服を着て気どっていた。
そんな生活が両親の離婚で一変する。
僕は、毎晩しくしくと泣いてばかりいた母を守るために、妹と共に母親と暮ら
すことにした。
母は慣れないパート勤めに出かけるようになった。ホカホカ弁当の製造工場。
そこでご飯をパックに詰める仕事を始めたのだ。それまで社長夫人を気どって
いた母はパートに出るのが恥ずかしいと、また泣いた。
しかし、母の仕事はそれだけではおさまらなかった。時給420円のパート代で
はとうてい生活をまかないきれなかったのだ。母は生活費の足しにと下宿屋を
始めた。
当時、新潟市の中心部にあった僕の自宅の近くにはいくつか大学や短大もあり
下宿屋にぴったりの環境だったのだ。
母の一日は早朝4時から始まる。起きるやいなや家を掃除し、朝食を作り、僕
たちの弁当を作り、洗濯機を回し、洗濯ものをたたんだ。それから僕たちを起
こし、無理やり朝食を食べさせてすぐにバスに乗りパートの工場へ向かった。
夕方帰って来ると、汗を拭く間もなく夕食の支度をし、同時にまたもや洗濯機
を回し洗濯ものを干したたむ。人が良くおせっかい焼きの母は頼まれもしない
のに下宿学生たちの洗濯ものを買って出ていた。だから家は常に洗濯ものであ
ふれていた。
そんな母の指先の何本かは、真夏でもざっくりとひび割れていた。
炊事洗濯、そしてパート勤めの水仕事で、指先の脂っけが無くなり、乾燥して
“あかぎれ”になっていたのだ。深さ5ミリにも達する深いあかぎれ。その深
部は血で赤く染まっていた。
あー、水がしみる…。
そう言いながら母はガマンして水仕事を続けた。それはすべて当時小学校低学
年であった僕と妹との3人での慎ましい生活を支えるためであった。
しかし。
僕は母の言いつけをほとんど聞かなかった。家の家事手伝いを一切せず、母の
小言に「うるせぇ」と返していた。
それがあたりまえだと思っていた。母への感謝の気持ちなど当時は思いもよら
なかったのだ。母が人生のすべてを投げ出して僕と妹を育ててくれたのに、愚
かな僕はそれが当たり前のことだと思っていたのだ。
ここまで思い出した時に僕の頭に疑問符が浮かんだ。
僕の本業であるリーダーシップ開発に関するセオリーと、僕と母との関係性が
整合しないように感じたからだ。
リーダーシップの発揮度合いは上司に対する部下の信頼関係の多寡で決まる。
組織心理学者のEPホランダーが提唱した
信頼蓄積理論 Credit Accumulation Theory はそう教えている。
つまり、上司が部下に信頼されるような行動を積み重ねていれば、部下は上司
のリーダーシップを受け容れ態度や行動を変容させていく。
しかし、その逆に上司が部下から信頼されていないと、たとえどんなに正しく
理にかなった命令を受けたとしてもそれを受け容れず態度や行動を変容させな
い、というものだ。これは僕たちフェイス総研が考えるリーダーシップ開発の
根幹となる考え方だ。
当時、小学生だった僕は、母が発揮する家庭内でのリーダーシップを受け容れ
ていなかった。つまり、僕から見て母は信頼に足る存在ではなかった、という
ことになる。
当時、母は文字通り人生のすべてを投げ打って僕たちを守ってくれていた。し
かし、僕はそんな母を信頼せず母のリーダーシップを受け入れなかった。これ
はなぜなのだろうか?
それは、当時の僕が幼く母の愛の深さに気づくことができなかったからである。
小学生の僕には、母の気持ちがわからなかったのだ。
仕事や家事の大変さ、あかぎれに水がしみる痛み、生活に対する不安、高慢な
プライドをへし折られたことによる羞恥心など。当時まだ子供だった僕には、
母の苦しさ切なさを理解できなかったのだ。
だから、それをありがたい、と思えなかった。そうではなく、母が発する些細
な小言に対してのみ反発の矛先を向け、母を疎ましく思っていたのだ。
もしかしたら、これと同じことが多くの職場でも起きてはいまいか。
リーダーや経営者が発する小言や叱責の言葉尻にばかり部下が反応し、その裏
にある思いや愛情に気づかない。まさに「親の心、子知らず」の状態。
だから、リーダーや経営者が部下から信頼を獲得できない。そんなことも数多
くあるのだろうな。母への回想からそんなことを思った。
部下が上司を信頼するか否かを決めるのは、上司ではなく部下である。部下が
部下自身の価値観でそれを決める。上司から見てその判断が幼かろうが未熟だ
ろうが間違っていようが、上司はそれを変えることはできない。部下は部下の
ものさしでそれを決めるのだ。
しかし、やがてわかる時がくるだろう。口うるさくやかましい上司の小言の裏
に、自分を思う深い愛情があったことにいつか気づくに違いない。
いや、たとえ、その小言の裏に愛情を見つけることができなかったとしても、
それでも小言を言ってくれたことに感謝できるように、いつかきっとなるだろ
う。それが年を重ねる、ということであり、経験を重ねる、ということなのだ。
それまでの間、僕たちリーダー、経営者はじっとガマンして部下に愛情を注ぎ
続けるしかないだろう。部下のために必要であれば、自分が嫌われてでも小言
を言い続けるべきだろう。かつて、僕の母が、僕に対して人生を投げ打って守
ってくれたように。
子が親のありがたみに気づくのは10年、20年先かもしれない。だが、それで
いいのだ。僕たちは部下に感謝してもらうのが目的ではない。部下の人生のビ
ジョンを叶え、そしてチーム全体のビジョンを実現する。それがリーダーにと
っての最優先事項でなくてはならないからだ。
だから、リーダーの行いは自分自身の価値観で選択されなければならない。部
下の反応をきちんと受け止めながらも、最終的には自分が信じる確かな方法で
僕たちはリーダーシップを発揮し続けて行くべきであろう。ミンミンゼミの声
を聞きながら、そんなことを考えた。
もうすぐ母の誕生日だ。リーダーシップに迷った時、母のあかぎれの指を思い
出し自分自身への指針としたい。
株式会社フェイスホールディングス
代表取締役社長 小倉 広
